講演要旨
基調講演 脳とシステム:ブレイン・マシン・インタフェースと脳科学
川人 光男(ATR脳情報通信総合研究所)
脳科学は、人の心の仕組みを科学的に解き明かすことを究極の目標としている。従来は、基礎科学の性格が強かったが、近年の急激な進歩によって、コミュニケーション技術、経済活動、先端医療などに大きく貢献する可能性が示され、応用科学としての側面をもつようになった。すなわち、脳科学の発展を社会に還元し、その社会の中で脳研究を推進する時代が到来したのである。
脳の中に情報がどのように表現され、処理されているのか調べなくてはならないが、これは生物学が得意としてきた物質や場所に関する研究に比べて格段に難しくなる。このような困難を克服するために、ATR では脳を創ることによって脳を理解する研究を続けてきた。その中で,「脳を繋ぐ」研究では、まったく新しいコミュニケーション技術を生み出すことが最も期待されている。
この研究では、広がる情報格差などが持つ問題点を克服し、誰でも頭で考えるだけで直接コンピュータやロボットを通信制御できる革新的なブレイン・マシン・インタフェースの開発を目指している。この技術は脳科学の革命的な道具になることも期待されている。
生理学的根拠に基づく心拍動シミュレーション
松田 哲也(京都大学大学院情報学研究科 システム科学専攻)
近年における医学・生物学の進歩は、人体の生物学的機能を分子レベルから 細胞・臓器レベルにわたって明らかにしつつある。このような様々な知見の蓄積により、医学・生物学研究は数理モデリングという新たなアプローチを手に入れ、さらに、計算機の進歩は、極めて複雑な生体機能の包括的モデリングをも実現しつつある。心臓全体のポンプ機能や血管内の血流を対象とした血行動 態に関する研究に加え、細胞レベルでも心筋細胞の興奮に関係する電気生理学的研究により膨大な知見が蓄積されてきた心臓の機能は、このような生体機能の数理モデリングに関する研究の代表的な対象の一つとなっている。
当研究室では、本学医学研究科で開発された電気生理学的実験データに基づく包括的心筋細胞モデルであるKYOTOモデルを基盤として、心拍動シミュレーションシステムの構築を目指している。KYOTOモデルは、細胞膜上の各種イオンチャネルや輸送体、細胞内の収縮機構やエネルギー代謝に関する小器官における分子レベルの挙動を百以上の微分方程式やパラメタで記述し、膜興奮から収縮に至る心筋細胞の収縮機能を忠実に再現するモデルで、生理学的妥当性が大きな特長となっている。我々は、KYOTOモデルを一つの要素と見なし、有限要素法を用いて膨大な数の細胞モデルを結合させ、心臓の拍動を再現するシミュレータの開発を行っている。この臓器レベルのシミュレーションシステムにおいても、血管系との力学的な相互関係や心臓全体の興奮伝播の様子を生理学的根拠に基づいて再現することを重視し、KYOTOモデルの持つ生理学的妥当性を保持した心拍動シミュレーションの実現を目指している。このような生理学的根拠に裏付けられた生体シミュレーションは、生体機能の単なる再現ではなく、生物学的実験では計測できない指標の推定や未知のメカニズムの解明につながると期待している。
本シンポジウムでは、このような生理学的根拠に基づいた心拍動シミュレー ションシステムを紹介するとともに、初期的なシミュレーションにより得られた結果や今後への期待を述べる。
右利きと左利きのダイナミズム:魚類群集における左右性
堀 道雄(京都大学大学院理学研究科 生物科学専攻)
カレイやヒラメを別にすれば,魚類は典型的な左右対称な動物と考えられてきた。ところが、私はアフリカ・タンガニイカ湖のスケールイーター(鱗食魚:他の魚の鱗をはぎ取って餌とする魚)では右利きか左利きの個体しかいないことを見い出した。右利きは右体側が発達して口が左方向に曲がって開き、獲物の右体側を襲う。左利きはその逆である。また親子のサンプルから、この利きが遺伝形質であることも分かった。この発見を契機に探求を続けたところ、実は、どの魚類も遺伝的な右利きと左利きの個体からなること、またどの魚類でも集団中での利きの割合は、7:3から3:7の間を数年周期で振動しているらしいことが分かってきた。
その比率を動かす原動力は、捕食者と被食者の相互作用である。捕食魚の胃から出てくる被食魚の利きを調べると、捕食魚は自分とは逆の利きの小魚を多く食べている。左利きは捕食魚の右利きは、右から襲うことを得意とし、食べられる方の被食魚でも、右利きは、右側から接近する敵を発見しやすいらしい。この現象が一般的なら、捕食魚と被食魚のどちらもその時々の少数派の利きが有利となり、従って、集団内の比率が振動しながらある範囲に維持されていると考えられる。こうした食う者と食われる者の左右性の群集レベルでの動態を紹介したい。
KEGGにおける生物知識の集約とそのバイオインフォマティクス応用
五斗 進(京都大学化学研究所 バイオインフォマティクスセンター)
次世代シーケンサーをはじめとするテクノロジーの進展によりゲノムやメタゲノムなどのオミックスデータは加速度的に蓄積しており,バイオインフォマティクスによるデータ解析なしにはデータの解釈が不可能になりつつある。一方で,データの解釈にはリファレンスとするべき情報の蓄積と整備も重要である。我々は KEGG (Kyoto Encyclopedia of Genes and Genomes) プロジェクトにおいてゲノム,化合物,反応に関する既知の情報を収集し,それらをパスウェイや機能分類と有機的に結びつけたデータベースを開発している。KEGGではデータベースの整備とともに様々な解析をできる仕組みも構築しており,オミックスデータの解析結果を解釈するために利用できるようにしている。最近は,医薬品や疾患データなど医療をターゲットとした開発も進めており,それらも含めたKEGGのアクティビティについて紹介したい。
超高速シーケンサーが変える次世代ゲノム解析
豊田 敦(国立遺伝学研究所)
サンガー法とは異なる原理による配列決定装置の実用化から約5年が経過し、各装置から出力されるデータ量や解読長、配列精度は年々向上している。当研究室では、次世代シーケンサーを利用した配列決定および情報解析システムを構築し、これまでに微生物ゲノム解読やメダカ、マウス、チンパンジーなど種々の生物種の再シーケンス解析を進めてきた。また、最近ではさらにゲノムサイズが大きなゲノム解読を進めるとともに日本人を対象としたゲノム医療を推進していくための基盤となる日本人個人からなる標準配列や日本人固有の多型とその頻度情報の整備を目指し配列解析を実施している。本講演では、超高速シーケンスシステムを利用したゲノム解析の現状や情報解析結果について紹介する。
立襟鞭毛虫のゲノム情報から探る動物の多細胞化
岩部 直之(京都大学大学院理学研究科 生物科学専攻)
生物の進化の過程において、アメーバやゾウリムシのような単細胞生物の中から、私たちヒトのような多細胞生物の祖先が出現したと考えられています。このような生物の多細胞化は、動物・植物・菌類などの系統で独立に複数回起きたと考えられているのですが、いつごろどのように多細胞化が起きたのかについてはまだ十分な理解がなされていません。私たちの研究グループでは、動物に最も近縁な単細胞性の原生生物である立襟鞭毛虫(たてえりべんもうちゅう)のゲノム情報に注目し、動物の多細胞化を遺伝子レベルから理解しようと試みています。本講演では、私たちの最近の研究の一端をご紹介致します。
ゲノムワイドSNPマーカー情報を利用した遺伝的能力の予測法
荒川 愛作(京都大学大学院農学研究科 応用生物科学専攻)
資源動物の有用な経済形質(量的形質)では、最良線形不偏予測法を用いて個体の遺伝的能力が予測され、その予測値に基づき個体を選抜し、遺伝的改良が行われてきた。これまでの量的形質についての遺伝的能力の予測には、血統情報と表現型値とが利用されてきた。現在、個々の個体についてゲノムワイドのSNP(一塩基多型)マーカーの情報が利用可能となり、SNPマーカーと表現型値とを利用したQTL(量的形質に関わる遺伝子座)のマッピングが進められている。しかしながら、マッピングされたQTLは、量的形質の遺伝的変異のわずかな割合しか説明しない点も明らかになりつつある。そのため、個々のQTLを遺伝的能力の予測に利用するのではなく、すべてのSNPマーカーの情報を利用して遺伝的能力を予測し、その予測値に基づいて遺伝的改良を図るゲノミックセレクションが提唱されている。この方法では、ベイズ推定法を用いて大容量のSNPマーカー情報を表現型値とダイレクトに結びつけることにより、個体の遺伝的能力の予測が行われる。従来の血統情報を用いて予測される遺伝的能力と比較して、ゲノムワイドのSNPマーカー情報をすべて利用した方法では、正確度の高い予測値を得ることが可能である。ここでは、ゲノムワイドのSNPマーカーを利用したマーカーアシスト選抜法であるゲノミックセレクションに関する研究の概要を報告する。